京都五社で御朱印を集めよう!
こんにちわ!ゆうです。今回は僕がこよなく愛する京都の紹介の記事になります。京都というと史跡の宝庫!そしておいしいものがいっぱいあります。寺社仏閣は数多い京都府ですが、今回ではその中で京都5社について紹介します。
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京都5社とは
先ほども書いたように京都には数多く神社やお寺があります。全て書いていると、たぶんキリがないので、今回は京都5社という括りにして紹介いたします。
京都5社とは、平安京と深い関係にある神社を、天の四方の方角を司りる霊獣、「四神」に見立てたものです。清き水の賀茂川が流れ出る北方に鎮座するのは、玄武にあたる「上賀茂神社」。嵐山に近く、桂川を渡った先に鎮座するのは、西方を司る白虎をあらわす「松尾大社」。堂々と中央を守護するのは、黄龍に見立てた「平安神宮」。東山と祇園の間にある「八坂神社」は青龍として東方を守ります。そして鴨川と桂川が出合う南方には、朱雀として「城南宮」がかまえています。
今回は本物の御朱印も持っていなかったので、やらなかったのですが、京都5社の専用の台紙があり、全部集めると最後の神社でしおりがもらえるイベントもやっています。そちらもいずれチャレンジしていきたいと思います。
玄武・上賀茂神社(賀茂別雷神社)
上賀茂神社は京都の北側にあります。正式な名前は「賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)」です。こちらは下鴨神社と共に山城の国の一宮にあたります。そして5社の中で唯一、世界遺産にも登録されている神社です。御祭神は別雷神で、由来は「雷を分かつほどの力を持った神様」という意味です。
こちらが上賀茂神社の入り口です。
こちらが上賀茂神社の楼門です。神橋が目の前にあり、川が流れ、美しい造りとなっています。
楢の小川
楢の小川とは上賀茂神社の境内にある川で、これは歌枕の地となっています。代表的な作品は「風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは 禊ぞ夏の しるしなりける」という平安時代の歌人、藤原家隆が読んだ歌です。季節を詠ったこの歌ですが、この意味は、風がそよそよと、楢の木の葉っぱを揺らしている。この楢の小川の夕暮れは、もう秋の気配を感る。六月祓(みなづきのはらえ)だけが、夏の証である。という感じです。
百人一首に載っているレベルの歌枕の地だけに、ばっちり歌碑もあります。この碑の後ろを流れるのが、楢の小川となります。行ったのが現代の暦の9月の頭だったので、むしろ秋の気配を感じることはできませんでしたが。
葵祭
葵祭は上賀茂神社と下鴨神社のお祭で、時代祭、祇園祭とともに京都三大祭の一つになっています。毎年5月に行われ、日本お祭のうち最も優雅で古趣に富んだ祭として知られています。古典行列は平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発、総勢500名以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。葵祭は女人だけの行列で、京都から伊勢へ向かう斎王行列をイメージしています。
白虎・松尾大社
松尾大社(まつのおたいしゃ)は四条通りの西側に位置し、松尾山のふもとに鎮座する神社です。この神社はお酒の神様としても有名で、現在でも酒造家の守り神とされています。
松尾大社の楼門です。こちらは白塗りと木の質感が見事に作られていますね。きらびやかでもなく、地味でもない感じが良いです。
こちらが松尾大社の本殿です。木の建物が後ろにひかえる松尾山に見事に調和しています。そしてその中で光っている金の装飾がアクセサリのように目に映ります。
黄龍・平安神宮
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に第50代の天皇にあたり、都を平安京に移した桓武天皇をご祭神として創建されました。明治時代に入り、幕末の戦乱で京都の市街地は荒廃し、明治維新によって1000年の歴史を見てきた首都「京都」が東へ遷ったことは京都の人々にとっては耐え難いことだったそうです。
その状況下で京都を救ったのは、全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれました。これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。
千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。
こちらは平安神宮の応天門です。応天門と言えば、応天門の変とは平安時代に応天門が放火され、伴善男が源信を犯人と告発したが、認められず、逆に伴善男が犯人として捕まってしまう事件です。この時期は政治の権力のために陰謀や謀略が蔓延していた時代で、こういう事件も多くはなかったようです。
こちらが応天門から本殿を臨んだものです。生憎このとき、雨が降ってしまったので次回は晴れているときに行きたいと思います!ここもリベンジ確定です。本来ならば、白砂と朱色の建物と、青空が見事な3段構図を演出してくれていたであろう・・・って感じですね。
時代祭
平安神宮は京都三大祭の一つである時代祭が行われる神社です。時代祭は10月22日から10月24日にかけて行われます。時代祭りは平安時代から明治時代に至るまでの時代風俗の行列が街を歩く行列です。この行列は日本の歴史絵巻を呼び起こしたような壮大なもので、日本の歴史の縮図のような行列です。
ぼくも一度見てみたいものです。
青龍・八坂神社(祇園社)
八坂神社は四条通りの東側、東山の麓に鎮座しています。京都の花街である祇園をずっと守ってきた神社で、御祭神はスサノオノミコトです。
白と朱色が美しい門ですね。
こちらが本殿になります。祇園祭のスタート地点である八坂神社は、江戸時代までは神社祇園社と呼ばれるほど祇園の町・祇園祭と深いかかわりを持っていました。
祇園祭
祇園祭は時代祭、葵祭と共に京都三大祭に数えられるお祭で、八坂神社のお祭となっています。さらに日本三大祭としても数えられる、全国でも有数のお祭です。毎年7月に行われ、多くの観光客が集まります。
祇園祭はユネスコにより「無形文化遺産」に登録されており、色取り取りの山鉾と人が街を染めます。
朱雀・城南宮
城南宮は794年の平安京遷都に際し、都の安泰と国の守護を願い、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を八千矛神(やちほこのかみ)と息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)に合わせ祀り、城南大神と崇めたことが城南宮の創建と伝えられています。城南宮とは平安城の南に鎮まるお宮の意味です。
こちらが城南宮の鳥居です。この先に本殿があります。
神楽殿が手前、奥に見えるのが城南宮の本殿です。木目がベースで、質素なつくりになっていますが、美しいですね。きらびやかに飾られていない分、本物の美しさを感じられます。
まとめ
いかがでしょうか。今回は御朱印集めと京都5社巡りを紹介しました。
日本人のふるさと、古都京都。近代化も進んでいる昨今ですが、私は京都が大好きです。最近は年に2回くらい行く時もあります。京都の空気に触れているだけで、幸せな気持ちになります。古より受け継がれてきた伝統と、新しいものの見事なまでの調和を実現した京都。世界の観光地ランキングでも1位を誇る京都。そこには京都の人達の愛と誇りを感じられます。
歴史に「もしも」はタブーですが、もしも首都が東京に移っていなかったら、今の京都はなかったかもしれません。首都を移されたことにより、京都人の意地とプライドで観光という面で世界一まで登りつめることができた都市なのだと私は思います。新しいものを作るだけでなく、古いものを残し、伝えるという方向にしたからこそ、日本一の観光地になりえたのだと。現に東京の街は新しいもののために、古いものが壊されている風潮があります。それは必ずしも悪いこととは思いませんが、残すことも大切だと思います。
京都に関しては、史跡も多く、愛も深く、紹介したい場所はかなりあるのですが、きりがないので今回は京都5社としてまとめ、ここまでにしておきます。京都は本当に楽しいので、ぜひ足を運んでみてください!