東京・府中で大國魂神社と古墳群を散策!
こんにちは。ゆうです。
今日は東京都にある府中市を紹介します。
府中とは
府中市は東京都の中央部南側に位置し、昔武蔵国府が置かれた場所です。ゆえに史跡は数多く存在します。北には国分寺市、西に多摩川をはさんで多摩市、東には調布市があります。さらに残っている史跡の時代もバラバラで、古墳時代から江戸時代まで歴史の舞台に数多く登場します。江戸時代には甲州街道も通り、日本橋から4つ目の宿場、府中宿もありました。ゆえに以前からかなり大きな街でした。
現在では中央競馬の東京競馬場がある街として有名ですね。G1の時にはすごい人だかりができます。私事ですが、京王線沿線の大学出身のため、学生時代にたまに飲んだ街です。一人だったので今回は飲み屋の紹介はありませんが‥。居酒屋さんも充実していますよ!笑
それはさておき、今回も昔の発展とその痕跡を探してみましょう!
今日の始点はJR武蔵野線とJR南武線が乗り入れている府中本町駅です。
改札を出ると右手にラウンドワンが見え、その手前には早くも屋敷跡が。発掘調査により、井戸が見つかっているようです。駅前にあるなんて、幸先の良いスタートですね。
東京五社・旧武蔵総社の大國魂神社
まずはここから大國魂神社に向かいましょう。
大國魂神社は武蔵の国の総社で、日枝神社、靖国神社、明治神宮、東京大神宮と並んで東京5社に数えられるほど大きな神社です。武蔵の国の守り神として、この地に祀られています。例大祭である「くらやみ祭」が有名です。自分は行ったことないのですが、そのうち行ってみようと思います。
境内も広く、見ごたえがあります。
こちらが大國魂神社の本殿になります。
そしてここの御朱印もかっこいいです!
余談ですが、大学時代に初詣に来たとき、菅直人元総理大臣がいました。
少し脇道にそれると武蔵の国府跡があります。
ここの建物は無料ではいれますので、興味がある方は立ち寄ってみてください!
こういう柱の後からいろいろ想像するのはまた楽しいですよ。
府中郷土資料館
境内に戻り、参道の向かい側には府中郷土資料館があります。
ここも無料なのです。かなり資料が多く、出土品などが展示してあります。また、武蔵野という歌枕の地なので、万葉集関係の展示もありました。
時間に余裕があればよってみることをオススメいたします。
この地では作者不詳が多いですが、東歌として複数の和歌が選ばれています。
僕が好きな歌は、石碑にも書かれている歌です。
「武蔵野の 草は諸向き かもかくも 君がまにまに 吾は寄りしにも」
この歌の意味は、「武蔵野の草が風に靡くように、私はあなたに寄り添いましたのに…」って感じです。切ないですね。とても。でも好きです。「武蔵野の草」から関東平野が想像できますね。そしてまたこの「君がまにまに 吾は寄りしにも…」っていう表現がとても好きです。
「まにまに」とは今は使いませんが、「随に」と書き、「従います」とか「委ねます」的な意味合いです。風になびく草に自分たちを重ねるところや、後半の表現がいかにも女性的で、恨み言の中にも一途さが含まれていて…。一度はこんな言葉言われるくらい、愛されてみたいですね。
府中宿を散策
さて、資料館を後にして、旧甲州街道の方へ向かいます。甲州街道沿いには大國魂神社の鳥居があります。大きいです。このあたりは旧府中宿だったため、古い建物を街道に沿って垣間見ることができます。
源義家像
正面のけやき並木を京王線の府中駅方面に歩いていくと、源義家公の像があります。
源義家は平安時代後期の武将で、八幡太郎義家として知られている。源義家は奥州平定の前九年の役の際、大國魂神社で戦勝を祈願したそうです。そして平定後に勝利の報賽として、神社にけやきの苗1000本を寄進したそうです。
府中宿散策
旧甲州街道に戻りましょう。
ところどころで府中宿の名残や、石碑が残っています。が、本陣跡はないようです。それっぽいのはありますが、石碑なども作られていないため、わかりません。
途中不自然な景色がありました。
これなのですが、長い緑道でこの太さ・・・とくれば大体わかると思いますが、線路跡です。
武蔵野線ができる前はここに線路が引いてあったそうです。おおむね長い緑道は、暗渠か線路跡・・っていうのが私の持論です!
分倍河原古戦場
このまま進むと京王線と南武線の乗り入れる分倍河原駅につきました。
分倍河原といえば新田さん…
鎌倉時代には分倍河原の戦いで新田義貞と幕府軍、北条泰家が戦火を交えた場所です。
というわけでお決まりの銅像です。太田にもいましたね!太田の新田さんより、雄雄しいです!分倍河原の新田さんは、鎌倉の位置する南側を向いています。よく考えられていますね!よく彼に会いますが、別に私は新田義貞の大ファンというわけではないです・・・
ここから北側に少し行ったところに、石碑があります。
この戦いで鎌倉幕府が敗退したことにより、力が衰えていったとも言われています。
そんな歴史的大舞台がここ分倍河原。かれこれいつもの妄想タイム・・・鎌倉時代に思いを馳せます。「古戦場の何が好きなの?」と聞かれるのですが、僕は「妄想」と答えています。
つい何百年前には、この地で激戦が繰り広げられていた・・。その土を僕は今踏んでいる・・・。この事実がとても心を躍らせてくれます・・・。
高倉塚古墳
さて、近所には高倉塚古墳があるので足をのばしてみましょう。
円墳ですね。住宅街のど真ん中にありました。等々力の古墳に比べると、かわいらしい円墳です。前方後円墳が、グラマーな美しい女性と例えるならば、円墳は幼児体型で童顔のかわいらしい女の子・・って感じですね。住宅街の真ん中でひっそりとたたずんでいるその姿には、心を惹かれます。源氏物語でいうならば、若紫的なポジションですね。
熊野神社古墳
それでは本宿を抜け、熊野神社古墳へと歩みを進めて行こうと思います。
西府方面に向かいます。
到着しました。熊野神社古墳はかなり珍しい形をしています。前方後円墳や、円墳は皆さん見たことあると思いますが、熊野神社古墳は「上円下方墳」です。
簡単に言いますと上側が円の形で、下側が四角形をしています。日本に古墳は数多くありますが、上円下方墳はほとんど見つかっていない、レアな古墳です。女性で言うならば、特別かわいいわけじゃなく、かといってすごくきれいともいいがたいが、一瞬の笑顔が忘れられない女性・・・という感じでしょうか。
こんな特殊な形・・・僕はこの子を一生忘れないでしょう。
さて、古墳を後にし、徒歩10分程度、JR南武線、西府駅に到着です。
まとめ
府中は以前紹介した市川、松戸周辺と、ハケの感じなど、地形的にもかなり近く、大きな古戦場の舞台となり、西側に多摩川、江戸川という大河を抱えていることなど、共通している部分が多いと感じました。もっと好きになりそうです!
今回の史跡巡りはこの辺にしておきましょう。