史跡の宝庫「両国」で江戸の空気を堪能しよう
こんにちわ!今回のテーマはお江戸下町「両国」です。
両国とは
両国は東京都墨田区の南西部に位置する町です。
隅田川は江戸時代、下総国と武蔵国を隔てる川でした。境にかかる橋から「両国」の地名が生まれました。
両国といえば誰もが国技館を想像すると思います。現在では東京の中でも観光地として、日本国技の相撲関連の「国技館」や、江戸の情緒、文化を伝える「江戸東京博物館」が目玉となっています。実は江戸時代、両国は隅田川をはさんで、東側を東両国、西側を西両国としていました。しかし国技館と両国が強く結びつき、現在は東両国が両国と呼ばれています。
当時両国は芝居小屋や屋台などが立ち並ぶ、盛り場でした。それでは、両国の町を散策していきます。
江戸東京博物館
今日の始点は「江戸東京博物館」です。こちらの常設展は、江戸時代の街並みや庶民の暮らしなどの展示が多くされています。私も何度かいっているのですが、入ってすぐの日本橋はとても衝撃を受けました。
さてまずは駅の北口、国技館方面に向かっていきましょう。
国技館には入場無料の相撲博物館があります。今回はこちらは寄りませんでした。その後少し進むと、見えてきました。今回の第一の目的地、旧安田庭園です。
旧安田庭園
旧安田庭園は潮入り回遊式庭園となっている大名庭園で、この庭園は江戸時代に本庄宗資により作られました。
現在の名前は明治時代に安田財閥の祖である、安田善次郎が所有することになったことに由来する。安田善次郎は、安田銀行(現在のみずほ)の設立を中心に生命保険会社、損害保険会社など、金融業を中心に多くの企業の設立を行った。
さて庭園を見てみましょう。池が綺麗ですね。灯篭もいい雰囲気を演出してくれています。
アジサイがちらほら咲いていました。この規模の庭園に無料で入れるのはなかなか嬉しいです。この辺で働いていたらランチタイムにお散歩とかできるんでしょうかね…。
季節を感じることができる場所が近くにあるのは羨ましいかぎりです。
出口の先に、「花の生涯」の作者、舟橋聖一の碑がありました。「花の生涯」は1963年の大河ドラマで、幕末の大老、井伊直弼の生涯を書いた作品です。まだ僕も読んだことはないので、そのうちに手に取ってみたいと思います。
ちょっとした発見でした。
回向院
さあ次は駅の南側に向かいます今来た道をそのまま戻り、総武線の線路をくぐると、力士のオブジェがあり、下には多くの手形があります。
突き当たると回向院があります。かなり大きな門のこの寺院ですが、建物はきれいなビルでした。さっそく入ってみましょう。
回向院には「鼠小僧次郎吉」の墓があります。鼠小僧とは、江戸時代後期に実在した、大名専門の盗賊で、義賊として伝承が残っています。汚職大名や、悪徳商家から盗んだお金を貧しい人びとに分け与えていたと言われています。
こちらがその墓所です。何年も捕まらなかった幸運にあやかるよう削る場所があります。
吉良邸跡
この近くには細かい史跡がいっぱいあります。まずは吉良邸跡です。
吉良邸は忠臣蔵で有名な吉良上野介義央(よしひさ)の邸宅跡です。
忠臣蔵の中では、悪役として描かれることが多い義央ですが、領民からは治水事業や、新田開発の功績で「名君」と慕われています。
やはり忠臣蔵のファンは多いらしく、しっかりと史跡として整備されていますね。
その他細かい史跡
こちらは芥川龍之介関係の史跡です。
芥川龍之介はこの地で育ったみたいですね。
こちらの石碑は「杜子春」の一節が書かれています。
幕末の英雄、勝海舟もこの地で生まれています。公園にはオブジェクトがしっかりと作られています。
勝海舟、高橋泥舟と並び、幕末の三舟に数えられる、山岡鉄舟もこの地に住んでいたことがあるそうです。
この辺に住んでいる子供たちは、このオブジェクトを見ながら育つのでしょうね。
錦糸町方面に少し進むと、ちょっと変わった建物があります。平成28年11月22日オープンした「すみだ北斎美術館」です。この地で生まれ、生涯のほとんどを墨田区で過ごし、世界の美術史に名を残した「葛飾北斎」を全面的に押し出した美術館です。
こうして最後によったのは野見宿禰神社。こちらは相撲の神様で、歴代横綱の石碑があります。
自分は大鵬や柏戸以前は名前もわかりませんが…
この地は本当に相撲の聖地だと実感できますね。
まとめ
さて、どうでしょうか。江戸時代から幕末、明治にかけて、この両国の地は文化面でも、政治面でも、かなり重要な人物を育ててきた街でしたね。
今回紹介しきれなかった場所もまだありそうです。普段歩いているだけじゃ気づかないような、看板だけの紹介なども結構ありました。
今まで知っていると思っていた街ですが、実は知らないことばかりで、近くにありすぎて改めて史跡という目線で見て、初めて気づくことが多い。そんな街でした。
東京だけでなく、日本全国にはまだ僕の知らない街の顔がたくさんあると思います。これからも散策を通じて、そんな街にであってみたいですね。