笠間稲荷神社と笠間城址を散策しよう!

笠間稲荷神社拝殿

今回は茨城県の笠間市に行ってきました。

あいにくの天気でしたが、それはそれでまた変わった姿を見ることができました。笠間稲荷神社と笠間城周辺に焦点を当てて紹介していきたいと思います。

笠間とは

茨城県中央部に位置する街で、水戸市の西側に当たります。都心からはJR常磐線と水戸線を乗り継ぎ笠間駅にたどり着きます。上野から2時間くらいでしょうか。意外と遠い場所に位置しています。

笠間駅

笠間駅は笠間稲荷神社を連想させるような駅舎になっています。

笠間市は日本三大稲荷に数えられる「笠間稲荷神社」の門前町として古くから栄えてきました。鎌倉時代から笠間氏によって統治されていました。そして笠間城の城下町として発展をしていきました。特産品には「笠間焼」があり、焼き物の町として知られています。

また、ミュージシャンの坂本九が戦時疎開していた場所として現在でも多くのファンが訪れているそうです。

笠間稲荷神社

笠間稲荷神社は全国で一番多いと言われている稲荷神社の代表的な一つです。稲荷神社は全国に3万以上卯存在しているそうです。日本三大稲荷のひとつとして有名です。ちなみに関東では一番大きなお稲荷様です。

三大稲荷の括りは定められているわけではなく、総本宮である伏見稲荷大社以外はそれぞれが名乗っているあいまいなものだそうです。東日本一の稲荷神社である笠間稲荷、九州一である祐徳稲荷、愛知県にある豊川稲荷の3つが有力候補ですかね。ちなみに笠間稲荷神社はほかに伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社と笠間稲荷神社が三大稲荷と主張しているそうです。

笠間稲荷鳥居

笠間稲荷神社は笠間駅から真っすぐ北に向かって歩いて行くと、徒歩20~25分くらいでたどり着くことができます。バスもあるのですが、本数が少なく、20分くらいだと歩いた方が早いかもしれません。

門前町はさすがにきれいに整備されています。それでは中に入ってみましょう。

笠間稲荷神社仲見世

鳥居をくぐると仲見世があり、関東一の稲荷だと実感することができます。

笠間稲荷神社楼門

立派な楼門が見えてきました。右手には手水舎があります。

笠間稲荷手水舎

こちらが拝殿になります。堂々とした佇まいは関東一の稲荷神社を物語っています。

笠間稲荷神社拝殿

御朱印もいただきました。稲荷神社の本宮「伏見稲荷大社」に続き、2つ目です。あとは祐徳稲荷神社ですが、佐賀県はちょっと遠いですね。そろうのはいつになることやら…。笑

笠間稲荷神社は菊も有名な神社らしいです。菊の時期には盛大な菊まつりが催されるとか。今度来るときは菊まつりに合わせてきてみようかなとも思ったりしています。

笠間日動美術館

稲荷から少し足を延ばすと笠間日動美術館があります。こちらの美術館ですが常設展示はもちろん企画展示を行っており、笠間市最大の美術館であり、茨城でも指折りの所蔵を誇っています。

笠間日動美術館

内部は写真を撮れないため、今回は割愛させていただきますが、ゴッホやドガなどの西洋絵画をはじめ岸田劉生などの日本人画家や、彫刻なども多数所蔵しています。

都内の美術館と違い、混雑や入場規制とほとんど無縁であるため、ゆっくりと作品を鑑賞したい人にはとくにおすすめです。

大石邸跡

笠間日動美術館の少し手前には大石邸の跡があります。

大石邸跡

「忠臣蔵」で知られる浅野家も、赤穂藩に国替えする前に笠間を治めていたそうです。そのとき、浅野家の家老であった大石家はより民と近い場所で政治を行うため、本丸から城下へと屋敷を移したそうです。

大石内蔵助の祖父の時代だそうです。

そして国替え後に入った家の家老も代々この地にて政務を執っていたそうです。

坂本九旧家

笠間美術館からさらに足をのばし笠間城跡へと向かいます。その途中に「上を向いて歩こう」で世界的にも有名な坂本九の旧家があったようです。記述によると、坂本九は戦時中の疎開で笠間にいた時期があるらしく、その時に使っていた家だそうです。

坂本九旧家

笠間の地で自然に触れながら多感な少年時代を過ごし、この場所を故郷として大切にしていたそうです。

現在、こちらの旧家はファンが保護を推進し、また多くのファンが訪れる場所だそうです。

笠間城跡

坂本九旧家からさらに山道を登ること10分くらいで、笠間城址の千人溜り駐車場に到着します。

鎌倉時代から笠間は笠間氏によって統治されていました。その拠点の城となっていたのが笠間城です。2017年に続日本100名城に選ばれました。

笠間城は佐白山に作られた山城です。佐白山は “三白山”と呼ばれていたそうです。山に神様のお使いの白い雉、白い鹿、白い狐の、三匹の白い動物がいたことが由来だと言われています。

山頂付近に天守曲輪を置き、山腹にかけて郭が作られています。関東は土の城がメインですが、笠間城は石垣が多く使われていました。石垣だけでなく、堀も比較的残っているほうで、遺構の状態としてはかなりいいほうだと思います。

 

笠間氏は豊臣秀吉の小田原攻めにおいて、笠間綱家は宗家の宇都宮氏に逆らい北条氏の味方につきました。これが原因で、小田原攻めの後に宇都宮氏勢に攻め込まれて笠間城は落城し、宇都宮家の家臣が城主となりました。

江戸時代になると笠間には笠間藩が置かれ、松平家が入城しました。その後も何度も藩主が変わり、最終的には牧野氏が廃藩まで8代にわたって治めてきました。その後廃城令によって建物は壊されてしまいましたが、石垣や空堀はなかなか見物です。

笠間城千人溜り

山の中腹には駐車場があります。ここまでは車で来ることができるため、車で来た場合はこちらからのスタートとなります。

大手門跡

こちらが大手門跡です。このあたりにはちょっとした石垣があります。草に侵食されている感じがたまらなく美しいです…。(主観です。)

笠間城石垣

つづら折りの道が続いています。手が加えられていないため荒れ気味ではありますが、空堀もしっかりと残っています。

登山道

坂道を上り終えると、視界が開ける場所があります。

こちらは本丸跡でしょうか。現在は草が生い茂って何もないようですが、周囲を囲むように土が盛られており、土塁があったのではないかと連想させてくれます。

さらに進むと曲輪を挟んで天守跡があります。

天守跡には崩れかけた石垣がしっかりと残されています。

天守台

この崩れ具合がいいですね。月日の経過が切なさとともに感動を与えてくれます。

素敵な石垣

雨の中の山城の登城はなかなか厳しい道のりで、かつ足場が不安定な部分もありましたが、しとしとと降る雨の音が廃城となった城を包み込み、良い感じのBGMのようでした。

また、夏の終わりの虫たちの声も廃城後に放置され荒れた感じを演出するスパイスとなり、感傷的な気分にさせてくれます。「昔の光、今いずこ…」のフレーズが頭をよぎるような景色です。

まとめ

いかがでしたか。今回は茨城県笠間を紹介してきました。

ぼく自身笠間を訪れるのが初めてでしたので、効率の良い回り方ができたかはわかりませんが、満足のいく散策になりました。

ぜひ関東一のお稲荷様へ訪れてみては。

笠間稲荷神社

笠間日動美術館